やりすぎ都市伝説SP2015秋で、オリラジのあっちゃんが語った都市伝説。
よく漫画や映画で目にする「裏で国家を操っている首謀者」という設定。
日本で例えるならば「総理大臣を裏で操っている者がいる」という陰謀論じみた話である。
そんなバカな話があるもんか!と否定してしまいそうになるが、実はこの手の話は絵空事では決してないという。
あなたも一度は耳にしたことがあるであろう、歴代の総理大臣。
吉田茂、岸信介、佐藤栄作。
この3人の総理大臣は、ある1人の実力者によって動かされていたというのだ。
その人物というのが「安岡 正篤」という人物である。
この安岡という人は、幼少の頃から「神童」と呼ばれ、現代でいうところの東京大学を主席で入学した、いわゆる「天才」なのだ。
大学を卒業後は、国を動かす仕事をしたいと官僚に就き、その才能をいかんなく発揮しようとした。
しかしながら、官僚という仕事に、さっさと見切りを付けて、すぐに辞めてしまう。
これはあくまで憶測だが、恐らく彼は、官僚などという仕事に就いていても、国を動かすことは不可能だと感じたのだろう。
そのため、安岡は官僚を辞めた後、日本の指導者を育成する「塾」を始めたのだ。
それだけに留まらず、安岡は至るところでその実力を発揮する。
第二次世界大戦によって、アメリカに敗北した日本は、激戦区であった沖縄の実権を事実上、アメリカに握られてしまうことになった。
そんな中、時の総理大臣であった「佐藤栄作」は、アメリカとの会談を実現させる。
しかし、戦勝国であるアメリカは、敗戦国であった日本を完全に舐めきっており、会談時間はわずか「10分」というふざけたものであった。
当時の大統領は、あの有名な「ジョン・F・ケネディ」である。
そんな時、安岡は佐藤栄作に、アメリカとの会談を有利に進める、ある言葉を送る。
それが、この言葉だった。
「戦いに勝ちては喪礼(そうれい)を以(も)って之(これ)に処(よ)る」
この言葉は「戦勝国は敗戦国に対し、侮るのではなく、敬意を持って接しなさい」という意味である。
安岡は「この言葉をケネディに言えば、必ず食いついてくる」と、佐藤栄作に伝えたという。
これを聞いた佐藤栄作は、実際に会談でこの言葉を放った。
すると、安岡の思惑通り、この何気ない一言にケネディは食いつき、佐藤栄作に一目置くようになったのだ。
当初は10分の予定だった会談は伸びに伸び、なんと3時間を超える会談が実現したのであった。
結果的にこれが功を奏し、アメリカとの信頼を築き、沖縄返還に繋がり、佐藤栄作はノーベル平和賞をも受賞する運びとなった。
言い過ぎではなく、佐藤栄作の偉業は、ほかならぬ「安岡」の策によるものである。
しかしながら、これだけの実績を残している安岡を、我々日本人のほとんどは知らない。
実は、ここにも安岡のある狙いがあった。
それが「有名無力 無名有力」というもの。
「有名になればなるほど、注目されしがらみが増え、思うように動けない。むしろ無名であるほうが、動きやすく、自分の信念に沿って行動ができる。」
こう考えた安岡は、表舞台には一切立たず、裏側から日本を支え続けたのだ。
他にも、第二次世界大戦終了時に、ラジオから流れた「玉音放送」。
あの内容に関しても、安岡が関与していたと言われている。
これだけ暗躍していれば、もはや日本を影から操っていたと言っても、決して言い過ぎではない。
85歳(昭和58年)でこの世を去るまで、第一線で活躍し続けてきた安岡は、最後にこんな言葉を残して逝った。
「平和が成立する時代であった欲しい」
これこそが、現在の年号である「平成」の元となっているのだ。
最後の最後まで母国日本を愛し、その身が朽ちるまで国家に尽くし続けた男を、我々は知っておかなければならない。
ちなみに余談だが、前述した、当時の大統領「ジョン・F・ケネディ」には、とんでもない噂があることをご存知だろうか?
それが「マリリン・モンローの死」に関わっていたという、信じられないような話である。
マリリン・モンローと言えば、若くして不審な死を遂げた、世界的大スターだ。
そんなマリリン・モンローの死に、大統領であるケネディが関わっているというから驚きである。
というよりも、マリリン・モンローとケネディは、どうやら親密な仲だったらしいのだ。
しかも、マリリン・モンローはかなりの恋愛体質で、弟のロバートケネディとも、親密な関係だったというからわけがわからない。
詳しく話すと夜が明けるので、あとはここからどうぞ。
平和が成立する時代であった欲しい
あった欲しい
とはどういう意味ですか?昔の言い回し⁉