第二次世界大戦中に大空襲から多くの人を救った名も無き日本人│やりすぎ都市伝説2015秋9.23

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やりすぎ都市伝説2015秋で東が語った都市伝説。

第二次世界大戦からちょうど70年の節目を迎えた今年。

70年たった今でも、当時の戦争を振り返り、色々な場で議論されている。

第二次世界大戦といえば、広島長崎への原爆投下が印象に残るが、東京や大阪への大空襲も忘れてはならない。

東京大空襲では約10万人、大阪大空襲では約1万人もの民間人が犠牲になった。

実は、これだけの犠牲者数が出たのには、大きな理由があった。

今からおよそ76年前の1939年、日本軍による真珠湾攻撃によって、第二次世界大戦が本格的に始まった。

それから6年後の1945年3月、アメリカ軍によって、東京が火の海と化した。(東京大空襲)

犠牲者はおよそ10万人で、罹災者を含めると、100万人を超えた。

焼夷弾という、日本特有の家屋を燃やすために開発された兵器により、これだけの被害になったと推測されている。

しかし、実は他にも理由があった。

日本政府は東京大空襲以前に、すでに焼夷弾の存在を認識していた。

にも関わらず、マスコミは「手袋をすれば焼夷弾は熱くない」という、デタラメな記事を新聞に掲載した。

更に、「焼夷弾を恐れずに火を消せ!」という記事を載せ、国民の戦意を徹底的に煽ったのだ。

それだけに留まらず、避難場所として最も適していた「地下鉄」をあえて閉鎖し、逃げるのではなく立ち向かえという指示を出した。

この政府の方針により、たった1度の空襲で、10万人というとんでもない数の犠牲者が出たのだ。

そして、この悲劇の東京大空襲から3日後、今度は大阪がターゲットになることに。

東京大空襲の時と同じように、アメリカ軍は焼夷弾を使用し、瞬く間に大阪は火の海と化した。

辺りは逃げ惑う人で、大混雑していたという。

そんな時、閉鎖されているはずの地下鉄の入口が開き、中へ入るようにと指示する1人の駅員がいた。

その駅員は、禁止されていた地下鉄を、避難場所として開放していたのだ。

それだけでなく、空襲のされていない地域に、避難者を地下鉄で送っていたという。

もちろん、この行動は違反である。

もし政府にバレれば、罰せられる危険性まであるのだ。

しかし、その駅員は、政府の方針ではなく、民間人の安全を優先させた。

この駅員の行動が、多くの人の命を救ったことは言うまでもない。

誰1人としてこの事実を口外することはなく、駅員が罰せられることもなかったという。

記録が一切残っていないため、その駅員がどこの誰だったのか、全ては謎に包まれたままである。

それから5ヶ月後の8月。

日本が敗戦する形で、第二次世界大戦は終結した。

一方で、こんな噂があるのはご存知だろうか。

それが「日本軍はアメリカ軍に勝てた」というもの。

国土も兵力も桁違いのアメリカに、島国である日本が勝てるなど想像しにくいが、かなりガチだという。

というのも、第二次世界大戦中に、日本軍はとんでもない兵器を開発していたのだ。

それが、SF映画さながらの「殺人光線」である。

日本軍が開発した最終兵器がヤバすぎる!

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