やりすぎコージー都市伝説2015夏で、伊集院光が語った都市伝説。
周知の事実だが、第二次世界大戦は我が国日本の敗戦によって終結を迎えた。
勝ったのは、いまなお世界の頂点に君臨し続ける大国「アメリカ」である。
アメリカに負けた日本は、GHQの政策によって徹底的に改革されることとなる。
私たちの身近な例で言えば「教育」などが当てはまる。
それ以外にも、GHQはあらゆる分野にまで手を伸ばし、なんと「紅白歌合戦」にまで白羽の矢が立ったという。
そもそもとして、GHQがやりたかったこととはなにか?
それは、日本人の心から完全に戦意を消し去ることである。
つまり、2度とアメリカに歯向かわないようにしたかったのだ。
逆に言えば、それだけ日本軍を恐れていたというわけである。
GHQの徹底ぶりは、それは凄かったという。
例えば、日本の文化の1つである「将棋」。
ご存知の通り将棋とは、相手の「王」を取るゲームのことだ。
それが軍事的な戦略に用いられるとして、将棋すらも日本から消し去ろうとしたという。
しかし、そんなGHQの策略を阻もうと、ある1人の将棋棋士が立ち上がった。
それがこちら。
事実として、将棋というのは戦略を練るために活用されていた。
少しでもかじっている人なら分かるだろうが、将棋というのは非常に緻密に計算された戦略ゲームなのだ。
そういう意味では、GHQが将棋に目を付けたのはあながち間違いではないのかもしれない。
しかし、紅白歌合戦はどうだろうか?
全くもって、戦争の匂いがしない。
むしろ、平和的な香りすら漂ってきそうなレベルだ。
家で年越しそばをすすりながら、家族で紅白歌合戦を観る。
まさに平和の象徴のような風情のある風景ではなかろうか。
これの一体どこに不満があったのか?
紅白歌合戦が発案されたのは1945年、つまり終戦の年である。
日本はGHQに対し、戦争で疲弊しきった国民のために紅白歌合戦を放送したいと申し出たのだ。
もちろん、通訳を通して交渉していたのだが、その時の通訳の言葉がまずかった。
紅白歌合戦のことを「ソングバトル」と言ってしまったのだ。
バトル=戦争=ダメ絶対。
こんなマジカルバナナみたいな理由で却下されたのだ。
しかし、ここでその大きな過ちに気付いた通訳が、機転を利かし「ソングマッチ」と言い換えたところ、なんと承諾されたという。
そんなゴタゴタもありながら、紅白歌合戦がスタートした。
最初の頃は「紅白歌合戦」ではなく、「紅白歌試合」というタイトルで放送されたという。
その理由は上で述べたように、バトル=✖、マッチ=○という、ちんけな理由からである。
実際に紅白歌合戦としてスタートしたのは、終戦から6年経った1951年から。
当時のアメリカが、どれだけ日本にビビっていたのかが、こういったエピソードからも垣間見えるだろう。
ではなぜ、アメリカはここまで日本を恐れていたのか。
実はアメリカが恐れていたのは、日本人の大和魂ではなく「技術力」である。
第二次世界大戦で惜しくも敗れたものの、日本軍の技術力はアメリカをも凌ぐと言われていた。
その1つとして、戦時中に日本軍が水面下で開発していた「殺人光線」が挙げられる。
実際に戦闘に用いられることはなかったのだが、ほぼ完成させていたという。
それがこちら。