間違いなく、日本漫画の礎を築いた漫画家である手塚治虫先生。
彼が日本漫画界に与えた影響は大きく、日本の「漫画」を文化にしてきた有名な漫画家たちは、そのほぼ全てが彼の漫画を見て育ったとも言われています。
そんな伝説的な漫画家「手塚治虫」先生だが、実は意外な裏の顔があるとの都市伝説があります。
それが、嫉妬心の塊だった?というものです。
と、裏の顔の紹介の前に、手塚治虫先生の表の顔を紹介しておきます。
手塚治虫氏がその名を轟かしたのが、長編漫画のデビュー作である「新宝島」という漫画。
この漫画は戦後の日本漫画の出発点と言われています。
その漫画を世に出した時、手塚治虫氏は、まだ18歳でした。
この漫画を読んで漫画家を志した人も多く、18歳にしてその才能は既に開花していたのです。
更に、手塚治虫氏にはいくつもの逸話があり、鉄人と呼ばれていました。
時には、月に数日しか寝ない時期もあったのだとか。
さて。
ここまでは手塚治虫氏の表の顔ですが、今回の本題はそんな手塚治虫氏の裏の顔です。
その裏の顔というのが、ジェラシーの鬼。
手塚治虫氏は、自分にはない才能を持っている人がいれば、その才能を認めつつも、敵意むき出しで、毒づくことが多かったのだそう。
例えば、手塚治虫氏のアシスタントには、あの有名な漫画家石ノ森章太郎氏がいたことは有名な話ですが、その石ノ森章太郎氏が試作として書いた漫画「ジュン」を手塚治虫氏は「あれは漫画ではない」と吐き捨てたことがあるそうです。
後に、このことについて謝罪したそうですが、才能溢れる人に毒づく性格はこの頃からあったのだと思われます。
他にはこんな例が。
手塚治虫氏にも低迷していた時期があり、その時期に、一世を風靡していた漫画が「巨人の星」でした。
しかし、手塚治虫氏は「巨人の星」について、スタッフに「この漫画の一体どこが面白いのか教えてくれ」と迫ったのだとか。
更に、この当時は、劇画タッチの漫画が人気を博していたのですが、手塚治虫氏は、劇画漫画のヒット作に恵まれず、ノイローゼになり、精神鑑定を受けたと言われています。
ただし、これらエピソードも、漫画の世界で「神」と言われる手塚治虫という人間が世に出るのに必要な要素の内だったのだと思います。
伝説になるぐらいにはこれぐらいジェラシーに燃えないとダメだってことなんでしょうね。
都市伝説でもなんでもなく、熱心なファンならみんな知ってる話。別に才人が聖人君子じゃないことも今ではみなさん了承済み。みなさん知ってましたかあ?なんて書き方は恥ずかしいから止めたほうがよい。まあこの手のボッタクリサイト運営者に言っても野暮なのも承知だが。