やりすぎコージー都市伝説2012冬、関が語った都市伝説「徳川埋蔵金の在りかを知っていた唯一の人物」
日本の歴史には、語り継がれる都市伝説が多く存在する。
その内の一つが、徳川埋蔵金である。
その徳川埋蔵金に関して、ある都市伝説が存在している。
それが、埋蔵金の在りかを知っていたとされる人物の存在。
徳川と言えば、日本の天下を治めていたことで知られているが、その徳川家を影で支えていた存在がいた。
それが、スパイである。
なんと徳川家。
世界で初めて暗殺部隊を組織したと言われているのだ。
そして、その組織の長とされる人物が、服部半蔵である。
この暗殺組織は、徳川家が天下統一の際、大きく貢献したと言われていて、その証拠に、半蔵門という名を地名として与えられたと言われている。
その服部半蔵。
実は、その徳川家への貢献の見返りにあるお願いをしたとされている。
それが、全国行脚。
服部半蔵は、全国を旅したいと、徳川家にお願いをしたのだ。
そして、これまでの貢献をしてくれた褒美に、これを許可した徳川家。
晴れて服部半蔵は、全国行脚に出るのだが、その時に使った偽名がある。
それが、松尾芭蕉。
そう。
日本で、俳諧師として知られる松尾芭蕉と服部半蔵は、同一人物だったという説があるのだ。
その理由の一つとして挙げられているのが、全国行脚のスピード。
なんと松尾芭蕉は、1日に400kmの距離を歩いていたというのだ。
松尾芭蕉の年齢などを考慮すると、とてもじゃないが、ほとんど不可能な早さだ。
そして、松尾芭蕉が、全国を回っていたのは、何も俳句を作るためだけではなかったと言われている。
彼が全国を回っていたのには、別の理由があったのだ。
それが、かごめかごめの歌を広めるため。
別記事で紹介したが、このかごめかごめという歌。
徳川埋蔵金の在りかを指し示していると言われている。
その歌を全国に広めるため、服部半蔵は、全国行脚をしていたというのだ。
しかし、なぜ徳川家の埋蔵金の在りかを示す歌を広めて回っていたのか。
もしかしたら、徳川家にまつわる何か意図があるのではないか。
謎は深まるばかりである。
信じるか信じないかは、あなた次第です。
オウム真理教の無刻印金塊と金丸信
;強制捜査で教団の金庫から七億円の現金と共に十キロの金塊が見つかっている。その金塊は無刻印で金丸信事件と同質と思われている。出所は北朝鮮ではないかとの報道も流れた。実行部隊のトップ早川「建設大臣」は93年から頻繁に北朝鮮を訪れていた。
「北朝鮮の中央銀行はロンドンのゴールドマーケットに認められた刻印をもっている。可能性はないかと言われれば分からないが、無刻印のままでは流通性がなくなる。いずれにせよ正規の流通ルート以外から手に入れたものだろう」(田中貴金属工業)
「北朝鮮からと言うのは材料不足。話としては面白いが短絡的だ。しかし、市場流通性がない無刻印金塊を所持していたのが、ともに山梨に関係する金丸、オウムだったという点には、何らかの意味が有ろう。
山梨、とくに甲府は宝飾産業のメッカなので、工業用として入ってきた可能性もある」(アジア国際通信、神保隆見氏)
オウムは無刻印金塊を何処から手に入れ、何に使おうとしていたのか。
【参考『月刊現代・1995年七月号』88頁「オウム事件13の謎」より抜粋】