一度は目にしたことであろう、上の絵。
これは、1931年から1941年まで「少年倶楽部」という、今で言う週刊ジャンプのようなものに連載されていた漫画のらくろだ。
しかしこの漫画、ある理由により戦時中、軍部によって連載を終了させられてしまったという都市伝説がある。
漫画「のらくろ」は、猛犬聯隊という隊に所属していた「野良犬黒吉」を主人公として描かれたドタバタ戦争漫画だ。
最近描かれるような、所謂、戦争の悲惨さを訴えたような内容ではなく、どちらかというと、ギャグ色が強い漫画。
そんな国民的漫画であり、当時としては異例の長編物になったのらくろだったが、突如連載が1941年に終了してしまう。
これについては、一般的に、時代背景が理由とされてきた。
1941年と言えば、第二次世界大戦開戦直前。
多くの人が戦争の熱にやられ、国として今後の命運を決める重要な時期。
そのような時期に、「漫画などという、ふざけたものの掲載は許さん」という内務省からの通達があったというのだ。
しかし。
実は、この話の裏には、ある都市伝説が囁かれている。
確かに、軍部から圧力を受け、連載終了に追い込まれたのは事実だが、圧力を受けた理由が、少し別の所にあったというのだ。
それが、漫画のらくろの作中のある描写。
その描写が、当時の軍部の逆鱗に触れたのだとか。
実際には、どういった描写なのか。
それが、のらくろが軍の人間として満州に行った時のこと。
当然、満州には、日本人以外の人もたくさんいたのだが、その人間たちを、作者の田河氏は、
ロシア人をクマ、朝鮮人をヒツジ、中国人をブタ。
と思わせるような描写として登場させた。
これが、軍部の逆鱗に触れたというのだ。
一体なぜか。
この当時の満州で日本は、「五族協和」というのを掲げていた。
満州に入り乱れる多国家の人種と協和を図るというスローガンである。
そういった情勢にある中、他の国家の人間を、クマやブタ、ヒツジなどとして描写するなど、言語道断だったというのだ。
そして、こういった話が出たのが、田河さんの義理の兄にあたる小林秀雄氏が、自身のエッセイで語ったからであると言われている。
当時は、多くの出版物が検閲され、情報統制されるのが当たり前の時代であった。
何よりも、国民を扇動するためのプロパガンダとして、情報を操作する必要があったからである。
そのある種、被害者とも言える漫画のらくろ。
しかし、それは検閲される側に限った話ではないのだ。
これとは別の国民的漫画であるアンパンマン。
あの漫画は、やなせたかし先生自身の戦争体験が元となり生み出されたと言われている。
そのやなせたかし先生。
当時は、軍部側のプロパガンダ制作をしていた一人なのだ。
そんな稀有な経験をしたやなせたかし先生が、あるべき正義の形として理想を反映させたのがアンパンマンだと言われている。
詳細はこちらから。