日本のカップラーメン史における先駆けとなった商品、日清のカップヌードル。
今では、世界で300億食を超える数を販売し、ロングランヒットとなった食品だ。
しかし。
その船出は順風満帆というわけではなく、当初は、さっぱり売れなかった。
しかし、あることがきっかけで、爆発的に人気になったというのだ。
カップラーメンが発売されたのは、1971年のこと。
この当時、まだ、カップラーメンは食文化として定着しておらず、カップラーメンは、まだまだ一般の人にとっては真新しいものであった。
そういった時代背景もあったが、販売初年度、大々的に宣伝したこともあり、4時間で2万食を売ることに成功した。
しかし。
その後は、イマイチ売れなかった。
それには、色々と分析があるが、やはり、食文化として定着しなかったことが原因の一つではないだろうか。
しかし、ある事件をきっかけに、カップヌードルは、爆発的に売れるようになる。
それが、浅間山荘事件だ。
この事件は、1972年の2月に起こった事件で、今でいう所の、過激派組織のような連合赤軍が、浅間山荘の管理人の妻を人質に、浅間山荘に立てこもった、という事件である。
事件当時、場所が、長野県の山間部、更には、時期が2月ということもあり、氷点下を超える厳しい寒さであった。
そして、多くの機動隊が、前線に出動したのだが、その際に問題となったのが、食糧だ。
普通の弁当などでは、凍ってしまううえ、温かいまま食べることが出来ない。
そこで、注目されたのが、日清のカップヌードルだ。
お湯さえあれば食べられるうえ、持ち運びが非常に楽なカップヌードル。
更に、日清は、当時、売れ行きの良くないカップヌードルの在庫を大量に抱えていた。
そういったこともあり、日清は、カップヌードルを警察に寄付したのだ。
ここまでは、日清の好意だとは思うが、この好意が、副産物的に、宣伝効果を生み出すことに。
浅間山荘事件は、当時、大々的にテレビで生中継されていた。
その視聴率は、驚異的な数値をたたき出し、多くの視聴者が、事件の行く末にくぎ付けになっていたのだ。
そして、そのテレビに映し出されたのは、厳しい寒さの中、湯気が立ち込めるカップヌードルを頬張る、隊員たちの姿だ。
その光景に、視聴者は、「彼らは何を食べているの?」と興味を掻き立てられた。
結果として、これが、大きな宣伝効果を生み出し、カップヌードルは、爆発的に売れるようになった、と言われている。
こういった風に、意図せず、口コミを生み、爆発的なヒットを生み出すことは、少なくない。
その代表的な例が、ポケモンだ。
ポケモンには数々の都市伝説があるのだが、発売当初、実はあまり売れ行きは良くなかった。
しかし、ある些細な出来事が、ポケモンを日本史に残るゲームに押し上げたのだ。
それが、開発陣のイタズラ。
ポケモンは、開発陣のあるイタズラが原因で、爆発的に人気になったのだ。
その内容といのが、こちら…
コメント
>ここまでは、日清の好意だとは思うが、この好意が、副産物的に、宣伝効果を生み出すことに。
日清の好意での提供はもちろんでしょうが、どう考えても宣伝と言う意味での打算的思惑はあったでしょう。