「都市伝説」ジブリ映画「コクリコ坂から」は元々宮崎駿監督が作る予定だった?

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今や世界的大ヒットを起こしている「ジブリ映画」。

現在放送されているジブリ映画だと、
「思い出のマーニー」があります。

思い出のマーニーはアナ雪のパクリ?

そんなジブリの数ある作品の中の一つ。「コクリコ坂から

そのコクリコ坂にも、都市伝説が存在していて、
それが、コクリコ坂の制作の裏側に関する内容です。

まず、コクリコ坂のストーリーを少し紹介。

1963年の横浜。
港の見える丘に建つ古い洋館”コクリコ荘”で暮らす16歳の少女、松崎海。

彼女は大学教授の母と船乗りの父に代わり、
この下宿屋を切り盛りするしっかり者である。

どんなに慌ただしい日でも、
父に教わった信号旗(安全な航行を祈る)をあげることは欠かさない。

海が通う高校では歴史ある文化部部室の建物、
通称”カルチェラタン”の取り壊しを巡って学生たちによる反対運動が続いていた。

ひょんなことことから彼らの運動に巻き込まれた海はメンバーの一人風間俊に出会う。

やがて二人は惹かれあってゆくのだが・・・

こんな感じのお話です。

この作品は1980年に「なかよし」で連載された、
同名コミックを宮崎吾郎監督が映画化させました。

けっこう歴史のあるお話なんですね。

そして、この映画を作成するに至った理由は1990年のこと。

当時宮崎駿は毎年夏になると、
信州の山小屋で合宿を開催してました。

その中に当時参加していたメンバーに、
「攻殻機動隊」の押井守や「新世紀エヴァンゲリオン」の庵野秀明らがいたそうです。

3人は朝晩寝起きを共にし、
複数の少女マンガを取り上げて、
「映画になるかどうか」を検討しました。

その中の一が高橋千鶴の「コクリコ坂から」でした。

このマンガを気に入った宮崎監督は、
いつか映画化しよう」と思ったそうです。

こんな裏話があり、作られた作品なんですね。

そしてこの作品。

上述したように、監督は宮崎吾郎さん、
つまり、宮崎駿監督の息子さんです。

元々「映画化をしたい!」と言っていたのは宮崎駿監督ですが、
実際に監督をしたのは息子さんでした。

しかし、この作品の脚本は宮崎駿さんです。

親子共同の作品だということですね。

ちなみに、駿監督の書いた脚本には、
ほとんど会話しかなく吾郎監督は苦労したらしいです。

なんだか心がほっこりする都市伝説ですね。

この他にも映画には、
制作秘話や都市伝説などなど、
面白いものがたくさんあります。

特にジブリには面白い都市伝説がたくさんあります。

ジブリ都市伝説まとめはこちら

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